第4章 刻みだす記憶




A




「…………ト………リュー……」

 声が聞こえる。また、を呼ぶ声だ。

「リュート」

 だが、琴の音を思わせるようないつもの声とは違う。もっと濃艶な――頭の芯がしびれそうな声だ。

「リュート!」

「――!」

 肩を強く揺すられる感覚で覚醒する。俺は少し湿った瞼を一気に開いた。

「……?」

 あたりはまだ暗い。
 背後から月明かりが差し込んでいるようで、徐々に目が慣れてくる。頭も次第に起きてきて――不意に人の気配がした。

「誰だ!」

 布団をはねのける。
 視界の端に映った剣をひっつかみ、すぐ近く、気配の先へと鞘ごと切っ先を向ける。

「!?」

 そこには――紅い目が印象的な――月神がいた。
 月神がうっすらと微笑んでいる。あまりにも凄艶なその微笑みに、俺は、月の陰影を見た気がした。

「やっぱり、思い描いていた通りの色だ。リナリアよりも濃い紫眼――」

―――リナリア!?

 反射的に剣を引く。
 そうだ。確か、先ほども俺のことをリュートと呼び起こしていた。
 この男、何故その名を知っている!?

「ああ、すまないね。私は、その名しか知らないんだよ」

「!?」

 口に。

―――出した…か? いや…

「おや、違ったかな? 彼女のほうかい?」

 心が、揺さぶられる。駄目だ。落ち着け、俺。

「………どちらでも、いい。何故、その名を知っている」

 今度こそ、口に出して問う。それが、ひどく難しい。

「教えてもらったんだ。昔ね」

―――どういう、意味だ…?

 問い詰めたいのに――できない。男の瞳力が強すぎて、言葉が出ない。
 それに、なぜだろう。声が、あまりに耳に心地よくて…

「私は、オズワルド=ロード。この国の統治者だよ。ただし、今は忍びだけれどね」

―――王!?

 いたずらが成功した子供のように目を細めるその姿の、なんと艶冶なことか。
 確かに、王都の血筋は銀と金の髪に赤眼だと聞いたことがあるが――

―――……若すぎないか?

 どうみても二十五、六だ。気功術師でもない限り、実年齢もそうだろう。
 前王が病により崩御されて、新しい王が立ったのが今から七年前――現王はかなりの賢王だと聞いていたから、すでに壮年かと思っていたが…

「意外かい?」

 くすりと笑われ、心臓が跳ねる。
 疑いの目を向けてしまったのだろうか。
 それとも、何もかもが見抜かれているのか…だが不快感はない。すべてを許され、包み込まれるようだ。

「私は、どうしても君に会いたかったんだ」

 何故…明日には謁見の間で会えるだろうに。
 だが、そう思っても反論ができない。
 緋に、溺れる。

「――私的にね」

 やはり本当に心を見透かされているようだ。肩の力が抜ける。
 もうすっかり緊張もほぐれ、気がつけば、こちらまで笑顔になっていた。

「あなたは、ホーリィグレースについてご存じなんですね」

 しかし――なぜウェルナキアは知らなかったのだろう。近衛であるはずなのに。
 彼は、肝心なことは伏せられ、この王に踊らされているというのか…

「私が言えることは何もないよ」

 何を――ウェルナキアの何を見透かしているんだ。心を燃やす、その炎で。

「怒らないでくれ。彼女の意思を尊重したい。君たちが、自分の足で、目で探さなければ意味がないんだ」

 俺たち自身で…それが、彼女・・の願い…

「それよりも、リュート。君のことを教えてくれ。今まで、どこにいたんだい? どんな人たちと知り合って――なぜ気功術師になったんだい・・・・・・・・・・・?」

 依然として一部に引っ掛かりを覚えるものの、俺は素直にすべてをしゃべった。
 そうしなければいけない気がした。
 いや――背負い切れなかったんだ。一人では。あの赤黒い幻が、後悔が、重すぎて…








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