第3章 密やかなる破片




E




 気持ちがいい。冷たさが身に凍みる。穢れが、拭い去られていく。
 また、あの夢を見た。赤黒い穢れが、神聖なるすべてを焼き尽くす夢。
 抜き放った剣に、月光が反射する。それは水面に映り、そして、自分に吸い込まれる。
 水を掬えば、さらなる煌めきを生み出す。水をかき分ければ、月は消え、新たな月が生まれる。
 すべてを飲み尽くせば、この夢も終わるのだろうか。月を飲み込めば、終わらすことができるのだろうか。その前に、自分が壊れるだろう。逃げたくない。でも、立ち向かいたくない。
 月の光は、どこまでも優しい。それを映すこの湖は、まるであの白い花畑のようだ。
 剣を浸ける。この清らかな水で洗えば、今まで斬り伏せてきた穢れも拭えるだろう。己の分身でもあるこの剣が、清められていくことに、安らぎを覚える。
 そう、あれは確かな安らぎだった。あの白い夢を見ているときが、俺の安らぎだった。白い花に囲まれて、大切な人たちと過ごす。かけがえのない一時。
 永遠なんて、物語だと知っているけれど。
 誰でもいいから、約束してほしかった。
 この時を永久に。
 この幸福を永久に。
 けれど……
 視界が、ぼやける。意識が、吸い上げられていく――

 俺は、息を切らせて走る。息苦しくて、赤く黒い炎の中。
 誰かの手を振りほどきながら。がむしゃらに。
 だって、みんなを助けたいから。みんなを、守りたいから。
 初めて思ったんだ。初めて、気づいたんだ。
 多少の傷を覆うことになんて、かまっていられない。
 まっすぐに、異形の元へと駆け付ける。
 それは、沢山いた。恐ろしくなるほど、足が竦んでしまうほど、大きくもあった。
 国の魔法使いたちが、異形の術を防ぐけれど、防ぎきれない。次々と、吹き飛ばされ、あるいは燃やしつくされていく。
 剣は届きそうにない。惑う。
 異形の一匹が、俺に気づく。
 やつらの術が――俺は、とっさに腕で顔をかばう。
 けれど、何も来ない。
 恐る恐る目をあけると、薄紫が……

『!?』

 薄紫のドレスが可愛らしい、少女が。俺を守るように、腕を広げ、防御術を展開させていた。
 しかし、異形の腕が伸び、少女は吹き飛ばされる。
 血を流して倒れる少女。苦しそうに、弱弱しく異形を見つめる。
 俺がやらなきゃ。
 集中する。
 大気を感じて。
 空気に溶け込む神気を取り込む。
 自分の中に、力が膨れ上がるのを感じる。
 この力なら。
 このホーリィグレースの力なら。
 俺なら、やれる。
 聖なる力を信じている。
 伝説を信じている。
 たとえ、俺の中に半分しか流れていなくても。
 俺なら。
 異形を見据える。
 そう。
 まずは、あの空間を、

『ダメ!』








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