第2章 思い出の始まり




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 俺は立ち止まり、ため息をついた。ホーリィグレースの情報収集は思った以上に難航している。
 こうまで首を横に振られ続けると、どうしても悪い考えが浮かんでしまう。
 本当は、ホーリィグレースなどないのではないかと。何もかもが、自分の夢物語なのではないかと。
 すべては幻で、すべては泡影で。次目を覚ました時には、俺はいつもの寝台で、いつもの天井を見上げ、いつもの窓から射す陽光に身体を伸ばしているのではないだろうか。そして、いつものように狭く急な階段を降り、いつものように父に挨拶を告げ、父はいつものように茶を啜り――

―――……… ほんと、夢ならどんなにいいか…

 行きつく先は、絶えず花天月地の無情な雨景色なれど。
 ほのかに花の香り漂うこの手紙と、かすかに温もりを感じるこの石と。
 これだけは、夢にできない。したくない。
 いや、夢であったほうがいいのかもしれない。
 どれも夢境で――手紙も石も旅も、父と出会ったころからの記憶すべてが夢路で。
 そして、あの夢が現なのだ。
 目を閉じる。次に目を開けた時には一面の――

「あーーーーーーっ!!!」

 それはあまりにも急だった。
 恐ろしく甲高い声に心臓が早鐘を打つのを抑えつつ、みなの視線の先へと顔を向ける。
 すると、何やら煌びやかなドレスを身にまとった少女が、こちらを指さして固まっていた。
 違う、俺ではない。どうやら標的は、俺の持つ手紙と石のようだ。
 俺は反射的にそれらをポケットに隠した。

「ちょっ、何で隠すのよ!?」

 少女が、つかつかとこちらへやってきた。足を動かす度に、白いドレスの裾が美しく揺れる。その白に、先ほどの思考が重なり、視界が薄れる。
 少女は、およそ十歩ほどでたどり着き、俺の腕を掴む。
 細い手にぐいっとひっぱられ、顔が接近する。

―――紅い、髪……

 白い帽子から漏れる紅桃色の髪から、目が離せない。

「隠したもの、出しなさい!」

 さらに引き寄せられる。
 髪と同じ色の、瞳。

―――似てる……

 燦々と燃え盛り周囲を照らしだす炎のような……

「ちょっと! 聞いてるの!? 今隠した紙を出しなさいって言って…」

「……キシ…」

「!? ………今、なんて言ったの…?」

 少女の声がひそめられる。

―――! 俺は今、何を……

 分からない。ただ、紅桃色の髪と瞳が似ていると…

―――誰に似ているんだ?

 分からない。ただ、浮かび上がった言葉…

―――イキシア…?

「どうして、その名を知っているの…? あなたの手紙に、書かれているというの?」

「!」

 どういうことだ。この少女は、手紙のことを知っている……?
 ということは、ホーリィグレースのことも……?
 はじめての手がかりかもしれない。
 気持ちがかたぶる。こちらからもこの細い腕を掴み返し、逃さないよう引きつけたい衝動に駆られる。

「……お前…」

 折れてしまうだろうか。だが、ここで捕らえておかなければ、背に翼を生やし飛んで行ってしまいそうで。何か、目に見える形で、耳に聞こえる音で、枷がほしい。

「…………名前は?」

 少女は、そこで初めて己の欠礼に気づいたのだろう。俺の手を離すと1歩離れて咳払いをした。

「ごめんなさい、いきなり…… 私はフィリーネ。フィリでいいわ」

 少し、安堵する。

「俺はランティア。ラントでいい。早速だがフィリ、お前はホーリィグレースについて何か知っているのか?」

「……悪目立ちさせてしまったみたいね。あっちで話しましょう」








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