ふと、人の気配を感じて、無感情にそちらを見やる。白い壁にこげ茶色の木の扉が嵌まっていた。
ややして、コンコンと扉を叩く音がした。返事が出来る気分ではなくて、静寂が辺りを包みこむ。 扉の向こうの人物は、こちらの返事がないのを知って、迷っているようだった。 少し経ってから、遠慮がちに扉が開かれた。 「あ…起きていたのね」 「………」 緑と青の格子模様のワンピースに、飾り気のないエプロン。 顔を見る気力もなくて、声だけでは誰だか分からなかった。 「これ、あなたの服。乾いたから持ってきたわ」 「………」 「……もぅ…」 ずかずかと部屋に入ってきた女性は、軽くため息をついて肩をすくめた。持ってきた服を寝台の脇の机へ置き、こちらに近づいてくる。 「ほら、手をあげて! いつまでもそんな寝間着のままでいたらだめよ」 彼女の迫力に押され、俺は言われるままに手をあげた。 半ば強引に服を脱がされ、それよりはいくらか丁寧に着させられる。 「そこで、顔を洗って」 指されたほうを向くと、洗面台があった。 寝台を降り、ふらふらとしながらも何とか辿り着いて、蛇口をひねる。勢いよく水が出た。冷たい。 少し感覚が戻ってきたようだ。顔をあげると、正面の鏡に自分がいた。 「………ひどい顔…」 嘲笑うように呟くと、横から手拭いが差し出される。 そこでやっと女性の顔を見たが、覚えがない。 そうだ。 この洗面台にも、この部屋にも。 「……………ここ、どこ…?」 きょろきょろとしながら疑問符を飛ばす俺に、女性はすっかりあきれた顔をした。 「ここはうちの宿屋。あなたは昨日傘もささずに、ずぶぬれでやってきて……覚えてないの?」 確か、酔っ払いの男から村のことを聞いた後、慌てて飛び出したんだ。 でも…そう、雨が降っていて、暗くて……何も見えなくて―― 「ちなみにここはフラワードロップタウンよ」 「!?」 瞬時に地図を思い浮かべる。 何ということだ。ここがフラワードロップタウンならば、あの村から優に三日はかかるはずだ。その間、俺は… 全く思い出せない。俺はどこをどうやってこの町まで来たのだろう… 「見たところ、旅をしているようだけど…あなた、どこから来たの?」 瞬間、思考が凍りつき――そのまま金槌で砕かれたように、様々な思いが流れ出てくる。 どうして村を出てしまったのだろう。言っていいのか。もうないのに。消えてしまった。きっと暗い顔をさせてしまう。どうしてここにいるのだろう。二度と会えなくなってしまった。薄情なのだろうか。どうして俺だけ生き延びて… 「………っ」 いや、そんなこと、どうだっていいんだ。 「……まぁいいわ。いらっしゃい。食事の用意が出来ているから」 だってもう、戻れない――帰ることなんて、出来ないのだから。 |