誰かの話し声がする。視界がぼやけていて、あまりよく見えない。
「お、気がついたか」 湿気を含んだ風に煽られたカーテンの不規則なはためきに、何故だか安心させられる。 「いやぁ悪かったな! まさかあんなに弱いとは思わなくてよ」 ―――弱い? 弱くなんてない。王都でだって、あれは引き分けで…決して負けたわけではない。 声の主にそう言い返そうとして、身じろぎする。体に当たる敷布が、予想外に冷たくて気持ちがいい… ―――敷布? はっとして体を起こし、掛けられていた布団を撥ね除けた。 「いっ」 が、すぐにうずくまってしまう。すごく頭が痛い。気持ちも悪くて、吐きそうだ。 忙しない、自分でもそう思う。 「おいおい、大丈夫か? あんまり急に動くと死ぬぞ?」 半分笑いながら言ってくる男を、頭を抱えながら恨めしげに睨みつけた。酒場で、俺を派交締めして無理やり酒を浴びせた張本人。 そうだ。俺はホーリィグレースの情報を集めるために酒場に入ったんだ。結局何も得られなかったけれど… 「ぅ……気持ち悪い…」 「はは、悪かったって。だからこうして俺様の部屋で介抱してやってるんだろう?」 介抱――している風には見えないが、部屋は清潔だ。真新しい敷布に寝台、机に椅子。男のものであろう外套と鞄と――鞄からはみ出し散乱しかけている書類。窓は空いている。街の喧騒に混じって、小雨の音色が屋根を濡らす。ここは… 「……宿屋?」 「おぅ。にしてもお前さん、いいもん持ってんなぁ」 「! 触るな…っ」 男が手にしているのは俺の剣だった。細身の諸刃の双剣。柄には双翼の浮彫が飾られている。翼の間に嵌められているのは純度の高いアメジスト。気がついた頃には、すでにこの剣を手に修業をしていた。自然と俺の手に馴染む、手足のような存在だ。 「悪ぃ悪ぃ。ところでお前さん、どっから来たんだ? この町のもんじゃねーだろ」 全く悪びれた様子もなく――しかし丁寧に剣を壁に寄り掛からせて、男が訊いてくる。 「……ムーンシャインビレッジですけど」 「なっ ……そ、そうか…それは…」 頭痛をやり過ごしてから答えると、男は目線をそらし、やけに申し訳なさそうにうつむいた。 「? 何ですか?」 田舎者宣言への同情か、はたまた、一週間の旅への同情か。どちらにせよ、余計なお世話である。 「………、…そうか、あそこからだと一週間はかかるか…」 さっきまでの剽軽さとは打って変わって、やけに真剣な顔だった。その相違に、思わず顔をまじまじと見てしまう。存外美男子だ。それに、どうやらこの男、思いのほか若そうである。 ―――もしかして、俺の二、三上なだけなんじゃあ…? 「いいか、落ち着いて聞け」 「………」 男の濃茶の瞳が、幾らかの迷いに揺蕩いつつも、俺を歪めることなく捕らえている。 俺はいつだって冷静を努めてきた。剣士として当然のことだ。一つの判断が命取りとなるのだから。 故に俺はこの時も、いたって冷静でいたつもりだった。男の、次の一言を聞くまでは… 「ムーンシャインビレッジは……」 ―――魔族の手に落ちた。 |