第1章 夢の終わり




E




 誰かの話し声がする。視界がぼやけていて、あまりよく見えない。

「お、気がついたか」

 湿気を含んだ風に煽られたカーテンの不規則なはためきに、何故だか安心させられる。

「いやぁ悪かったな! まさかあんなに弱いとは思わなくてよ」

―――弱い?

 弱くなんてない。王都でだって、あれは引き分けで…決して負けたわけではない。
 声の主にそう言い返そうとして、身じろぎする。体に当たる敷布が、予想外に冷たくて気持ちがいい…

―――敷布?

 はっとして体を起こし、掛けられていた布団を撥ね除けた。

「いっ」

 が、すぐにうずくまってしまう。すごく頭が痛い。気持ちも悪くて、吐きそうだ。
 忙しない、自分でもそう思う。

「おいおい、大丈夫か? あんまり急に動くと死ぬぞ?」

 半分笑いながら言ってくる男を、頭を抱えながら恨めしげに睨みつけた。酒場で、俺を派交締めして無理やり酒を浴びせた張本人。
 そうだ。俺はホーリィグレースの情報を集めるために酒場に入ったんだ。結局何も得られなかったけれど…

「ぅ……気持ち悪い…」

「はは、悪かったって。だからこうして俺様の部屋で介抱してやってるんだろう?」

 介抱――している風には見えないが、部屋は清潔だ。真新しい敷布に寝台、机に椅子。男のものであろう外套と鞄と――鞄からはみ出し散乱しかけている書類。窓は空いている。街の喧騒に混じって、小雨の音色が屋根を濡らす。ここは…

「……宿屋?」

「おぅ。にしてもお前さん、いいもん持ってんなぁ」

「! 触るな…っ」

 男が手にしているのは俺の剣だった。細身の諸刃の双剣。柄には双翼の浮彫が飾られている。翼の間に嵌められているのは純度の高いアメジスト。気がついた頃には、すでにこの剣を手に修業をしていた。自然と俺の手に馴染む、手足のような存在だ。

「悪ぃ悪ぃ。ところでお前さん、どっから来たんだ? この町のもんじゃねーだろ」

 全く悪びれた様子もなく――しかし丁寧に剣を壁に寄り掛からせて、男が訊いてくる。

「……ムーンシャインビレッジですけど」

「なっ ……そ、そうか…それは…」

 頭痛をやり過ごしてから答えると、男は目線をそらし、やけに申し訳なさそうにうつむいた。

「? 何ですか?」

 田舎者宣言への同情か、はたまた、一週間の旅への同情か。どちらにせよ、余計なお世話である。

「………、…そうか、あそこからだと一週間はかかるか…」

 さっきまでの剽軽さとは打って変わって、やけに真剣な顔だった。その相違に、思わず顔をまじまじと見てしまう。存外美男子だ。それに、どうやらこの男、思いのほか若そうである。

―――もしかして、俺の二、三上なだけなんじゃあ…?

「いいか、落ち着いて聞け」

「………」

 男の濃茶の瞳が、幾らかの迷いに揺蕩いつつも、俺を歪めることなく捕らえている。
 俺はいつだって冷静を努めてきた。剣士として当然のことだ。一つの判断が命取りとなるのだから。
 故に俺はこの時も、いたって冷静でいたつもりだった。男の、次の一言を聞くまでは…

「ムーンシャインビレッジは……」




―――魔族の手に落ちた。








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