Darkness Hunter




序章




―――この人のすべてが、正しいと思っていた。


 それは大きな壁だった。とても乗り越えられそうにない。乗り越えてみたいとすら思えない。

 それより前は何も見えなかった。だから、その先のものを求めることなど出来なかった。

 それはいつも俺の前を歩いていた。いつしか俺はそれを必死に追っていた。追いつけなくてもいい。ただ、見失わずに追いかけて行ければそれでいい。

 そうしていれば、後ろを見ている余裕もないから。疑問を抱く暇さえないから。


『ラント…』


 俺が躓くとそれは振り返り、重たく見下ろして言うのだった。


『あれは失われたもの (ルビ ・・・・・・) なのだ。知られてはならない、無駄な争いを呼ばないために』


 ただ俺にはそれしかなかったから。俺はそれを信じて疑わなかった。




◇◆◇◆◇◆





 もともと、そこには何もなかった。そこに五つの精霊が降り立った。それらの精霊は、まず光と闇を生み出した。間もなく光と闇の一部は、風、水、炎、大地となり、そこは精霊であふれかえった。

 そして精霊はそこに、あらゆる生き物を呼び寄せた。それぞれはみな精霊に感謝して生きていた。

 やがて五大精霊は世界への干渉をやめ、すべてを見守ることにした。すると人々は次第に精霊を忘れ、慈しむ心を忘れ、争いが巻き起こった。脅え、苛立ち、不安、嫉妬、憎悪…そういった負の感情が渦を巻き、世界中をさまよい始めた。それらは光を恐れ、闇を好んだ。いつしか人はそれらを『闇』と呼んだ。『闇』は人々を蝕み、狂わせる。

 『闇』の所為で力が弱まりつつあった光と闇の精霊は、素質ある者に力を分け与えた。力を授かった者は精霊の命を受け、『闇』を浄化しにかかった。彼らの行為は同時に、先への道を示し、希望を見出した人々は組織をつくった。闇を狩る者、ダークネスハンターという。


「今日は疲れましたね~ 早く宿に帰ってシャワー浴びましょう、ね? ラントさん❤」

 くるりと振り向くと固い位置でまとめた髪が弧を描く。可愛らしい少年である。色白で、桃や紅を基調とする、ひらひらとした服を着ている。服の裏側には、何やら文字のようなものがびっしりと書かれている。お世辞にもたくましいとは言えない腕に抱えているのは、これまた隙間なく文字が書かれた布で巻かれている水晶球である。

 彼の名前はミュート。孤児であるらしく、姓はない。精霊魔法使いには良くあることだ。精霊魔法使いの特徴を他に挙げるとすれば、色白、華奢、バカに長い呪文、である。残念ながら背丈が低いのは、彼自身の特徴のようだ。

「ああ、そうだな」

 ラントはそっけなく答えた。いつもこんな感じである。何か、とてつもなく大きなものを一人で背負い込んでしまっているような、そんな影が見え隠れする少年だ。本名は、ランディ=ホーリィブレスという。今は、双翼の装飾が施された双剣を操る、紫瞳のダークネスハンター『ラント』として知られている。というのも、銀髪とあまり類を見ない紫の瞳、色素に見放されたような肌の上に黒のロングコートをまとい、見事な細工の二つのレイピアを可憐に操るものだから、否応なしに目立ってしまうのだ。

 いつもどおり、森での探索の帰りである。本日の収穫はまずまずだった。換金すれば、数日は過ごせるだろう。この町には三日前に着いて、もう宿の主人とも腕を褒めあう仲である。

 借りている部屋に入ると、ラントは剣帯をはずし、コートを脱ぎ捨てた。薄紫のカットソーの、その胸に付けられた、双翼に太陽の古代文字が描かれたレリーフが印象的だ。

 あまり広くない部屋だった。二つのベッドの真ん中に机が一つ、その上には一輪挿し。窓は一つでカーテンはない。窓からの新鮮な風を感じながらミュートは水晶球を机に置き、床に捨てられたコートを拾って窓枠のハンガーにかけた。

「もー、ラントさん 皺になっちゃいますっていつも言ってるじゃありませんか~」

「暑いんだ あまり長く着ていたくない」

「じゃあ今度僕がその紋章を隠せて、且つ暑くない服作ってあげます❤」

「………いや、遠慮して―――」

「きゃあああぁああ」

 外だ。ベッドに腰掛けていたラントは反射的に窓に駆け寄り、コートをかぶって飛び降りる。声をかける間もないその行為にぎょっとしたミュートは、開け放たれた窓から地上を覗き込んだ。何せ三階である。しかし尻込みをしたのも一瞬、腹をくくりラントの剣を抱えて自らも降り立った。

 その衝撃はすさまじかった。やはり三階である。身の丈の五倍の高さだ。骨が折れなかっただけでも奇跡かもしれない。不本意ながら体重は軽いが、身軽な方ではないのである。

「きゃあっ」

 今度は正面のようだ。まだ残る足のしびれは無視して、ミュートは面をあげた。

 コートを羽織ったラントの背中と、恐怖にゆがむ少女の顔、驚きと非難と疑いと、ほんのちょっぴりの好奇心にかられた町の人々の表情。少女の片手には片刃の剣、ラントの手には折りたたみナイフが握られており、互いに火花を散らしていた。ラントはしゃがんでいる。何故―――

「なっ」

 ふと女の子のもう一方の手の行方を追うと、ラントの足を突き刺す短剣に行き当たった。そういえばラントの剣は、まだミュートの腕の中だ。

「らっラントさん!」

 よくナイフを所持していたものである。

 ラントは、痛みに合わせ引きつる顔と感覚の薄れる足に舌打ちし、少女の肩をつかむ手に体重を乗せた。少女の体が合わせて傾いていき、押し倒す格好となる。

 足の剣がより深く食い込み、苦痛の声が漏れた。しかしそれ以上は歯を食いしばることで、何とか飲み込み、少女の手から落ちた片刃の剣を蹴り飛ばして、組み敷く。唖然としている少女の胴の上に座り、両腕を足で踏み、首筋にナイフを宛がった。

 これだけのことなのに、息が上がってしまう。

「……っ」

 我に返った少女のつたない抵抗が、足に響く。

「ラントさん」

 蒼い顔をしたミュートが駆け寄り、ラントの剣を差し出した。浄化は、この双剣がないと行えない。少女はあきらかに操られていた。触れている部分から、『闇』独特の嫌な気配が伝わってくる。ラントは二本共を片手で受け取り、浄化の言葉をつむぎだした…

「いやぁ!」

「うぁっ」

 聖なる力を感じてか、少女は、いや少女の中の『闇』は、体をひねらせた。首に当てられたナイフの刃が瞳に映る。その緊張の隙を突いた行動に、少女がより一層おののき、ラントはあわててナイフをのけた。

 待ってましたとばかりに『闇』が、バランスを崩したラントの、痛みのもとを引き抜いた。少女の白いワンピースに模様が広がる。

 そして『闇』は、声にならない悲鳴を抑え込みながら尚も呪文を唱え続けようとするラントを軽く押しのけ、器となった少女ごと走り去った。短剣の赤が連続的に残され、道を印す。

 とっさに追いかけようとするが、立ち上がれなかった。集中が途切れた今、襲う激痛に気を失いそうになっている。

「早く手当てしないと!」

 急いで布を取り出すミュートに、ラントは素直に足を預けた。とても自分で見る気にはなれないというように、視線を外す。集まった町の人々に憂鬱が見えた。あからさまに痛々しい顔をしている者までいる。

「ってこれ、かっ貫通してるじゃないですか!?」

 しゃがみ込み、ラントの足を締め付けていたミュートは、あまりの事態に涙ぐんだ。一方ラントのほうは、その言葉に気絶寸前まで追い込まれる。

 水晶球が天を舞った。覆いが解け、透き通る水晶に、【太陽】の光が反射する。一日一回しか使えない、大技である。

「バカ! やめろ」

 そのしなやかな光は、ラントの飛びかけていた意識を一気に戻らせ、叫ばせた。すでに力の入らぬ手でミュートの腕をつかむ。

 その手をつかみ返し、ミュートはラントの瞳を見据え、叩きつけるように叫び返した。

「こんなときに使わないでいつ使うんですか! ……大丈夫、『闇』はラントさんが何とかしてくださるんでしょう?」

 心から信じている。

 そんな笑みに応えるために、ラントは目を閉じ、精霊の息吹に身を任せた。




◇◆◇◆◇◆





 逃げた『闇』を見つけるのは簡単だった。挑発的な道しるべがあったからだ。

 すばやく剣を構えるが、少女の手にはもう短剣など握られていなかった。少女が禍々しく笑う。

 手が振り上げられた。すると、どこからともなく彼女の周囲に、一抱えほどの大きさの『闇』の球体が現れ、分裂しては増え始めた。

 ミュートが呻きながら、半歩退く。あまりにもグロテスクであったのだ。ラントも、迫り来る『闇』を剣で振り払おうとするが、切っても切っても、分散するだけである。こうも積極的だと、言葉を発する手間すら惜しい。

「ラン…っ」

 ハッとして振り返ると、ミュートがたくさんの球体に押しつぶされそうになっていた。球体の隙間から伸びるミュートの手が『闇』に飲み込まれかける。

「ミュート!」

 動転したラントは、とっさに剣を放り出し、腕を伸ばす。

 しかし、その手は触れ合うことなく、嬉々として飛び込んできた『闇』に阻まれ、ラントは深い黒へと誘われた……




 暗闇よりもさらに深い。重くまとわりつくような、それでいてどことなく心地よい。嘔吐感と快楽が入り混じる。

 『闇』であろうか、何者かががラントに話しかける。


『何故我らに歯向かう?』


 ラントは答えなかった。いや、声が出ないのだ。


『何故、禁じられたその力を使う? その、忌々しき最初の精霊、【星】の力を』


『人間など、お前のその力を使ってまでして、守る価値があるのか?』


『お前は、本当にこんなことをしていていいのか?』


―――違う…


 意思とは裏腹に、意識は深く深く潜っていく。


 柔らかな、赤い絨毯がしなやかに敷かれている。

 目の前に質素な王座があった。

 その真上には、双翼に太陽の古代文字が描かれた、ホーリィブレスの紋章が、誇らしげに部屋を見渡していた。

 大きな、大きな壁が、俺と目線を同じくし、その温かな手で頭を撫でる。


『お前の力は特に強い。だからなおさら使ってはならないのだ。わかるな、ラント?』


―――どうして


『決して知られてはならないのだ、我らの誇りは。護るべくは平穏、避けるべくは無価値な闘争だ』


―――本当に…?


 本当にこの力を使ってはいけないのだろうか。

 使わなくていいのだろうか。

 力を持つものに義務はないのだろうか。


 俺は越えられなかった。俺にはでかすぎて。

 でももう追いかけることも出来なかったから。

 途中で道をそれたんだ。まっすぐな道に背いたんだ。


『その力を、厳かな地にて秘めておればいいものを…何故お前は変化を望む』


 間違っている。この道は間違いだ。いや、そもそも道ですらない。

 戻れ。帰れ。平穏に。




 ラントを取り込んだ『闇』は、周囲の球体をも取り込み、もう今では亜空間のようになってしまっている。力の残っていないミュートには、どうすることも出来ない。

 ラントの手助けがしたかった。道を描くことすら出来なかったラントの、筆になりたかった。惹かれたから。彼の持つ、誇心に。僕にはそんなものがなかったから。でも彼なら僕の誇りになれる。

「……ラントさん…」




『所詮、この程度か……【星】の血も薄れたものよ』


―――! そんなことない!


 俺には信じているものが二つあった。俺の前を歩くホーリィブレスという名と。星の精霊に愛された、その血と。

「この名を、この血を、侮辱することは許さない」

 その気高き声とともに、闇が振り払われる。

「! ラントさん❤」

 負けるはずないという確信、そんな声音に安堵の表情。

―――器用なやつだ

 ラントは、愛しむように微笑む。

「さぁ、『闇』さん」

 大きな瞳が悪戯に煌き、『闇』をびしっと指差して言った。

「覚悟は要りませんよ? ラントさんはうまい (ルビ ・・・) ですから❤」

 『闇』は垣間見た星の力にひるんでいるようだった。もう手向かう気力はなさそうである。ラントは落ちた剣を拾い、二つの双翼を重ねるようにして『闇』に近づく。

「この世の中の『闇』を消さなければ、悲しみは増す一方だから…」

 ラントのコートの下で左胸が輝き、一対の剣へと伝わる。

「だから、俺は力を使う。星よ、浄化の力となりて、負の心を飲み込め…」

 ゆっくりと聖なる力に飲み込まれるように闇が霧散していく。

 が―――

「……えっ」

「なっ」

 二人が驚愕する。少女が、消えてしまった (ルビ ・・・・・・・)




終章





 こんなことは初めてだった。今までずっとうまくやっていた。人々に感謝されてきた。なのに…

 何故自分はこんなにも無力なのだろう。

 いや、そんなことはない。だってこの力は、唯一、五大精霊に認められた国の、王家のものだけが操れる力なのだ。だから―――


『お前の力は強すぎるのだ』


 この力さえあれば (ルビ ・・・・・・・・)


『その力を、混乱を招く災いの元にしてしまっていけない』


 父の教えに逆らい、俺は城を飛び出した。


私が (ルビ ・・) 立ち上がれば、世界は救えると思った。


―――でも結局


「でも、ラウラちゃん、笑ってましたね」

 不意をつかれ、前を歩き出すミュートに、そのまま見入ってしまう。ミュートは普段どおりのご機嫌のようで、背の髪が跳ねるように揺れている。周りの者の心までも軽くする躍り方だ。

 だが、ラントははたと困惑する。

「………ラウラちゃん…?」

「ええ、可愛い名前でしょ? あの子の名前、聞かなかったんで❤」

 振り返り、屈託なく笑う。

 それを、半分は呆れて、半分は慕わしさで。

「お前は、強いな」

 ラントはつぶやいた。




 そして俺達はまた歩き出す。それが先の見えない獣道でも。


 世界を救えると信じて。




『―――だから僕は、あなたのために生きる』








END




お付き合いいただき、ありがとうございました^^

初のオリジナルでしたが、少しでも何かを感じていただけたのなら幸いです><///